クレオパトラの針の移送(transporting Cleopatra's Needle)

  先日紹介したクレオパトラの針(Cleopatra's Needle)は、1878年9月12日に現在のテムズ河畔の台座の上に立てられました。これがどのようにしてエジプトのアレキサンドリアからイギリスのテムズ河畔に運ばれてきたか紹介します。
  1819年、エジプト総督ムハンマド・アリがこのオベリスクをイギリスに“贈呈”してもよい、との承認を与えてから50年以上もそのまま放置されていたようです。
  1870年代になってジェームス・アレキサンダー将軍がオベリスクの移送の実現に動き出し,高名な皮膚病学者だったジェームス・エラスムス・ウイルソン卿が私費による資金援助をかってでました(当時では相当高額な1万ポンド)。オベリスクは技師のジョン・ディクソンが作った特製の円筒形のコンテナに収納して海上を運搬することになりました。コンテナは「クレオパトラ号」と名づけられ, 1877年9月21日,母船「オルガ号」に曳かれてアレキサンドリアを出港しました。ジブラルタル海峡を抜け大西洋からイギリスに向かった2隻は,ビスケー湾で嵐に遭い,「クレオパトラ号」を繋いでいたロープが切れて漂流し,船員6名が行方不明となる災害に見舞われました。危うく海底に沈むところだった「クレオパトラ号」はイギリス・グラスゴーの蒸気船「フィッツモリス号」に拾われ,一旦スペイン北西部のエルフェロール港まで曳航されました。船主は自分のものだと言い張って,オベリスクを5,000ポンドで買い戻させたそうです。
  「クレオパトラ号」はこんどは蒸気船「アングリア号」に曳かれて1878年1月15日エルフェロール港を発ち,同月21日にやっとテムズ河口のグレーブセンドに到着しました。アレキサンドリア港からイギリスまで4カ月の長旅の後、テムズ河をさかのぼり、現在地のテムズ河畔の台座の上に立てられました。オベリスクの下が欠けているので座りがわるく,鉄の装飾で支えられています。台座の中には当時の新聞や大英帝国のコインセットなどの記念品が収納されているということです。オベリスクにはブロンズ製のスフィンクス2体が添えられています。今日の写真はそのスフィンクスの1体です。
基本情報
      地図:クレオパトラの針 <Google Mapで表示>
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